ADHDに出会うまで
妊娠から出産まで
息子のオクトは、でら子屋夫婦がアメリカ留学中に生まれました。ある日神様が私の夢枕に立ち、「元気な男の子を授けよう」と言ったのですが、今から考えると「元気すぎるけどよろしくね」ということだったのでしょうか。お腹の中にいる時からよく動き、洗濯機や掃除機の音を聞くとグルグル動き回っていました。妹のカンナのときはモニョラ・モニョラとゆっくりだったのとは対照的です。出産は難産で吸引・鉗子分娩となりました。特に吸引を無理にかけたため、左の頭頂部に大きな血腫ができてしまいました。小児科医から「頭蓋内にも血腫ができているかも知れない。その場合障害が残るかも知れない。」と言われ、CTを撮りました。CTの結果は「頭蓋内の血腫はなし」という事で、小児科医に問題なしと言われてオクトをアパートに連れて帰りました。
乳児期・幼児期
生まれてすぐから何にでも興味津々、目つきが他の子と違っていました。親もまわりも賢いからだと思っていたのですがどうも違ったようです。ハイハイを初めてしたのも旅行中に泊まったホテルのきれいなパンフレットを手に取りたかったためでした。家でちょっと目を離したスキにカーペット用洗剤を飲んでしまい、大慌てしたこともあります。目の前に気をひくものがあるとつい触ってみたくなるようで、お店の照明に触って火傷をしたり、エスカレーターの非常停止ボタンを押して止めてしまったりしました。言葉の発達は早かったと思います。歩いたり、走ったりするのはふつうでした。感情の起伏が激しく、大人にかまってもらうと嬉しすぎてオシッコをちびったり、桜の花が散るのを見ただけで悲しくなって泣いてしまったりすることがよくありました。人なつっこくおしゃべりなため、近所の大人の人にはよくかわいがってもらいました。
幼稚園・保育園
言葉の発達が早かったので、他のこともきちんとできるだろうと思って、内情を知らずにブランド幼稚園に入れてしまったのがそもそもの間違いだったかもしれません。バス通園が嫌いで母親から離れられず、バスが来ると逃げ出したり、先生を叩いたりが始まりました。
幼稚園があわないのかと思って4才の夏(年中)に近所の保育園に転園しました。母親と歩いて行ける距離だったのでいやがらずに通園するようになりました。先生や他の子のお母さんとおしゃべりするのが大好きで「オクト君と話していると大人と世間話をしているみたい」と言われました。途中から入園したのと、カッとなると蹴ったり叩いたりするせいか、仲間に入れてもらえず友達との関係をうまく築けませんでした。また、悪いことをして先生に注意されるとパニックになって先生を叩いたり蹴ったり、暴言を吐いたりすることがありました。特に腕を押さえつけられたりすると乱暴がひどかったようです。また、保育園での身支度もいつになってもきちんとできるようになりませんでした。保育園の友達に毎日のようにケガをさせてしまったこともあります。ケガをさせた子とその両親に親子で謝ったのにもかかわらず、ある父母からは「キレルと危ない子だ」「オクト君みたいなのが将来学級崩壊の原因になる」と責められ、妻がうつ状態になって1週間以上寝込んでしまったこともあります。
買い物に連れて行くと、食料品売場で目に入るものを次から次へと触ってみないと気がすまず、包装ラップに穴をあけてしまったり豆腐が入っている水槽に手をつっこんでしまったりするので目が離せませんでした。また、オモチャなど一度欲しいと言い出すとダダをこねて床に寝そべってしまいテコでも動かないということがよくありました。
妻も私もどうしつけたら良いかわからず、子育ての本をいろいろ読みましたが、どれもなかなかうまく行きませんでした。まずいことに、私の実家の両親は中学校の元校長と保育園の園長であるため、「きちんとしつけないと将来大変なことになるぞ」といろいろと口を出してきました。妻は私が「オクトに甘すぎるから言うことを聞かないのだ」、私は妻が「オクトを叱りすぎるから肝心な時に話を聞いてもらえないのだ」とお互いに責め合うこともありました。
「のび太・ジャイアン症候群」を読み、そこに書かれていた子供たちと行動パターンがそっくりなので、やっとADHDかも知れないと思い始めました。児童相談所で医師の診察を受けたのですが、「受け答えもしっかりしているし、頭が良すぎるから育てにくいだけですよ。ADHDだったらもっと飛び跳ねるように動いているはずです。」と言われ、ホッとしつつも何か納得できない気分でした。
3才年下のカンナも保育園の2歳児クラスに入園し、妹がきちんと身支度ができたり情緒面でも安定しているのを見て、「やはりこれは育て方の問題ではないかもしれない」と思い、児童精神科のクリニックを受診しました。WISC知能検査では言語性知能>動作性知能と発達のアンバランスがあることと、心理検査中、まわりの刺激のすべてに反応してしまうことを指摘され、ADHDの診断を受けました。
診断を受けて、親と保育園の先生の対応が受容的になったせいか、最初の2ヶ月は逆に乱暴がひどくなってしまいました。しかたなくリタリンを朝1回10 mgで始めましたが、イライラしてしまうのか乱暴な言動がかえって目立ち、リタリンを中止しました。代わってテグレトール(感情安定薬・抗てんかん薬)を始めたところ、カッとなっても途中でブレーキがかかるようになり、次第に友達に乱暴する頻度が減ってきています。
ADHDの診断がつくまでは、親としては何とか人並になって欲しいと思って悪い面を矯正することに目が行き、怒ったり脅したり叩いたりしたこともありましたが、そういう努力をしても悪い面は矯正できない子なのだとつくづく思い知らされました。創造性や感受性などの面では優れている点もあり、良い面を伸ばして行くことによって自信を持たせ、全体として成長することにより悪い面も徐々にカバーできるように育てて行きたいと考えています。